敬愛する倫友の皆様へ 「さわんちゃ通信」 沢矯正歯科医院
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2005/08/13
No.139
『花火と長岡商人』および『山古志の美しさに魅せられて』
 みなさまこんにちは。残暑お見舞い申し11げます。
 8月2[j(火)の長岡市倫理法人会モーニングセミナーでは、前長岡市白L映図酋館長の稲川明雄様より上記の『花火と長岡商人』のテーマでお話をして頂きました。

*長岡の花火は江戸時代に商人が工夫して造り、発展させてきた:
 廿は煙花火で煙に色を付けてあげていたが、武士から化学薬品の製法を学び、美しい色の出る現代のものに近づけていったハイオニア的存在であった。長同人は質素倹約家なのにどうして花火をあげたのかというと、「夢をかたるのが好き」「造形することが得意」[遊びを生活の中に牛、かすことが好き」などの気質があったためと思われる。

*大橋方ミ内のこと:
 長岡商人として52歳で東京の深川に出向き、15年間も花火をあげ続けた。(最近発刊した稲川明雄著「能のごとく」に大橋が内のやった商売繁盛の秘訣が詳しくのっています)

*第二次匪界大戦後の長岡花火:
 空襲で1475人が亡くなり、その鎮魂と焼け野原となった長岡の復興を訴って、8月2日と3日にあげることになった。しだれ柳のようにできるだけ長く空中に残るものや、長く尾を引くようなものには、「長生き花火」の想いが込められている。また花火師は良い花火をあげるために命がけで努力した。これは近年にもF花火師の競演」として続いているようである。

*「しモ尺玉:
 それまでの花火は{尺玉と所っても実際にはもっと小さく、あまり正確な大きさではなかったので、あえて「ΥF」の字をつけて、Lしい大きさとし、他の所の花火とは異なることを表現した。
 このモーニングセミナーの後、午後から神奈川県倫理法人会からバスで31人もの倫友が長岡においでになり、山占志の闘牛と米百俵セミナーと花火を楽しんで下さいました。ちなみに今年は地震からの復興を願って、長岡市のバッジにもなっているフェニックス(不死鳥)の名をつけ、合併した6市町村にちなんで、長さ1.6kmにわたり6ヵ所から3分間同時にあがる圧巻の花火を見ることができました。
地震や洪水での苫労を明るくハネとはしていこうという気持ちが伝わり、感動して涙ぐむ人も多く見られました。余計な話ですが、花火気狂い?の一人でもある私、暉の属する酔火連が25年間あげ続けている尺五22連発と、長岡高校S39年卒の還暦お祝のベスビアス超大型スターマインではハイと返おをし起こして、周りの人に拍手をして頂きました。(半分はアホみたいと思っているようでしたが。)


 次に8月9ト|(火)の長岡巾倫理法人会モーニングセミナーでは「山雪志の美しさに魅せられて|のテーマで、写真家で牛、物化学研究家の中條均紀(なかじょうまさのり)様にお話をして頂きました。

*山古志村の棚田の芙しさにひかれて通いつめ、数多くの写真を撮ってきたがハ中年の10川23目(上)も写真家仲間数人に教えながら、山占志村虫亀の旅館に泊っていた時に地震にあった。風じの水がほとんど飛び出す程の縦揺れを感じたあと横揺れに移り、許の身許のまま飛び出し、案内された集会場に集まったが、村民が誰からともなく自然に炊き出しを行い、「助け合うことがごくあたりまえ」という勤きに感心した。壊滅的な状況でも、告おだやかで、温かい心の村民はグチをげわず全てを受け入れ、前向きに、支え合って生きていく知恵」を出し合っていたように患う。

*その山古志村に少しでも役収てばとの思いで、撮りためた写真をもとに「祈り」のテーマでつくった写真集3看と、全国40ヵ所以上でチャリテイ個展を問いてもらったことで、数千万円を寄附できたことでホッとしている。

*山古志村にはコンビニもないが、不自由はなく人間らしい生活が送れてきた。本当の便利さとは何かを考えながら、山古志村と一生かかわり、つきあい、自分さがしを続けていきたい。

感謝合掌
posted at 2007/06/13 14:32:24
lastupdate at 2007/07/26 13:10:41
修正