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2005/01/24
No.118
『よみがえれ山古志村』
みなさま こんにちは。
1月18日(火)の長岡市倫理法人会MSでは、新潟県古志郡山古志村の長島広美(ただよし)村長より「ふるさと 山古志村」のテーマでお話をして頂きました。長島村長は前日には神戸で阪神淡路大震災の10年目式典に出席し、支援のお礼を述べ、連日早朝から夜中まで休む暇のない忙しさの中、早朝5時半に長岡グランドホテル2FのMS会場にかけつけてドさいました。
*神戸市高島町の町民2200人中67人が死亡されたとのことだが、山古志村では村民2200人中2人の死亡であった。奇跡的としかいいようがない。その高島町は10年たって復興したが、まだ町民は40%しかもどっていないとのことで、その原因を知り、災害の復興計画は人がまごころをこめたものでなければいけないと感じた。これからもぜひ心の応援をお願いしたい。
*なぜ全村避難の選択をしたか:
 10月23日17:56第-回目の地震の後、タンスなどにはさまれて動けなくなった避を娘と共に引き出して外へ逃げるまで何が起きたのかわからなかった。その後の余震で家の壊れるのを目の前にしたが、山占志村の行政の長として村民を守る立場にあることから、「家は頼むぞ」と言って車高の高い軽トラックで村役場へ向かった。しかし全ての道路が大崩落をしていて通れず集落にもどり、集落の人には全員小学校の校庭に集まってもらった。この時点で大変な地震の被害であることがわかり、まず村民の生命を確保するため避難すべきと判断した。

*最初は携帯電話も防災無線も不通であったが、かろうじて携帯か通じる山の上に上がり、夜中に泉田県知事にも連絡でき、「山古志村は壊滅的です。全村避難をするので自衛隊の派遣を要請して下さい」とお願いし、「わかりました」との力強い返事を頂いた。この時は山古志村職員の無事もわからなかったが、普段の防災訓練やマニュアルなどによる適格な行動を信ずるのみであった。

*全ての集落が寸断され、全村民が戸外に出ているので人命やケガ人の救出を最優先とし、夜間は前例もなく危険極まりないというヘリコプターの出動を懇願した。「自衛隊か来てくれると思うだけで村民は心が救われます。どうしてもダメなら自分をロープにつるして孤立した集落の所へ降ろしてほしい。そこで村民と共に救出を待つから」と言ったら、日本一の技術を持つ習志野の空挺部隊や新発田連隊の方が「やってみましょう」と言い、1回だけになるかもしれないという話が10回も往復し、全村民を人道的配慮で救出して下さった。この時ヘリコプターから下の村民に全村避難の苦渋の選択を話し、「まず生きのびよう。そして必ずこの山古志に帰ってこようjと呼びかけ、「ここで死んでもよいから動きたくない」という人達を説得することができた。

*長岡市民も大変な被害の中、山古志村民の避難所を市内に作ってもらい沢山の支援を受けたが、困った時にこれだけ広い心を示せる長岡市と一緒になる(4月より合併)選択をしておいてよかった。
 長島村長は最後に「自分は-時的にせよ村民に村を捨てる決心をしてもらい、避難をさせた村長であることを一生の重みとしてとらえ、必ず山古志に帰り復興して、みなさんにあの美しい村を見に来てもらえる日が一日でもいく来るよう努力します。全部復興してからではなく、少しでも通れるようになったら、村民みんなで一緒に入ってッルハシをふるっていきたい。皆様の心の支援をこれからもどうぞよろしくお願いします」と結ぱれました。

 この後原田敏(社)倫理研究所新潟支所長からの義援金の贈呈があり、最後に桜井繁長岡南倫理法人会則会長のすぱらしいハーモニカの伴奏で、全員で「ふるさと」の歌を合唱しました。指揮をさせて頂いた私も3番の歌詞「志をはたしていつのロにか帰らん。山は青きふるさと」の所では、涙で声が出なくなってしまいました。いつか必ず「心のふるさと山古志を訪ねる会」を企画しますので、その際はぜひご同行下さい。


 1月25日(火)はその山古志村の1200頭もの牛を1億5000万円かけて救出した男 高野修さんのお話です。

感謝合唱
posted at 2007/06/13 14:13:24
lastupdate at 2007/07/26 11:00:25
修正